デザイン

【未経験転職】私が海運ホワイト企業からデザイナーへ転職した理由

こんにちは。Makiです。

どうして海運の仕事からデザイナーへ転職したいと思ったのか、きちんと記録しておこうと思い、文章にしてみました。

年収も良く残業代も1分単位でつくホワイト企業に勤めていたけれど、それよりも大事なことがありました。
デザイナーになっても、きっとまた自分のキャリアに悩むときは出てくる。
その時に、自分と向き合ってデザイナーになると決めた気持ちを思い出せるように。

今の仕事にもやもやしてる・・・
自分のやりたいことってこの仕事じゃないかもしれない・・・
そんな風に思っているなら、私の話が参考になれば嬉しいです。

転職した理由

結論から言うと、私がデザイナーに転職を決意した理由は
自分の作ったもので喜んでもらった時が一番自分のやりがいにつながると感じたから」です。

「ありきたりだな〜」と思ったかもしれません。
でも、そう気づき本気で行動に移すまで、色んなことがありました。

転職を決意するまで

ここからは私が未経験からデザインに興味を持ち、実際に転職しようと思うまでについてお話しします。
ちょっと長くなりますが、興味があれば読んでみてください。

ものづくりに憧れていた小さいころ

小さいころ、カメラマンの父に連れられてよく美術館や展示会などに行っていました。
そのときから
「自分の作ったもので喜んでもらえるっていいなあ」
「やってみたいと思ったことをずっと続けられるってすごいなあ」
と子供ながらに思っていました。
ただ同時に「ものづくりってセンスや才能がある人しかなることができないんだろうなあ」と決めつけもしていました。

やりたいことがわからず、もやもやしていた大学時代

高校まで、ものづくりやデザインは自分ではできるものではないと考えていた私。
美大を目指す友人は皆美術部だったり、絵がすごくうまかったり。

「やっぱり、自分にそんな才能はないなあ」
そう思った私は、高校でロシアに短期留学したことで
「自分の違う文化や考えを持っている国・人のことをもっと知りたい!」
そんな思いに従って立教大学で交流文化について学ぶことを決めました。
周りにデザインをしている友達はいないけれど、毎日学んで色んな国を旅したり、留学したり、バックグラウンドの違う友人と出会ったり。

そして就活を迎えたものの、漠然と
「仕事でも色んな国や文化と関わりたい」そう思っていました。
でも海外と関わっている会社ってたくさんあって、関わり方も本当に様々なんですよね。
大学生の私は、本当は何がやりたいのかわからないまま色々な業界を受けていました。

そんな中、海運の会社を受けた時に、バンコク支社に赴任していた会社の先輩が
「タイの人とは文化も考え方も違う。そこが難しいけれど、
お互いの文化を大切にしながら、同じ目標を達成していくときが一番嬉しい」
そういっていた時に、
「私もこんな仕事をしたい!」
そう思い、その海運会社に入社しました。

会社でやりたいことができず個人で動いていた新卒1年目

ただ入社した際に入った部署は私の希望とは違い、海外とは関係のない部署でした。
そこで、「女性社員は最初は管理部門から」
という会社の方針もあり部署が決まったと人づてに聞きました。

同じ部署の先輩方は新人で何もわからない私にも優しく、しっかりと教えてくれる。
でもこれは私のやりたかったことではない。。
やってみたいことができるかどうかは、自分で決められない。会社の方針次第なんだ。

社会人1年目でそう思った私は、ならプライベートでやってみたいことをやろう!と思い、
留学の時から続けていたレタリングを本格的にやってみようと決意しました。
自己満足で始めたインスタもコメントをもらえるうちにモチベーションがどんどん上がり、楽しくなってきた頃。
2年間付き合って将来も考えていた彼と、別れることになりました。

人生で初めて心がぽっかりと空いて、何かを考えるとすぐに涙が止まらなくなる日々が続きました。
仕事もすきじゃない、大事な人もいない、何をして生きていきたいのか?
泣いてるままじゃいかん、何か新しいことを初めてみようと思いつつもなかなかポジティブになれない。
「なんでもできるなら、なにをしてみたい?」
そう思った時にふと
「レタリングのサイトを作ってみたい」
そう思いました。

その時、2019年3月。インスタでSHELIKESの広告が出てきて、すぐに無料説明会に参加。
そのまま、3ヶ月の青山での通いのWEBデザインコースに参加しました。
毎日仕事のあと、デザインやコーディングの勉強に明け暮れる日々。
「美大出じゃない私なんて無理」そんな考え方が一気に薄れていった時期でした。
自分に制限をかけていたのは自分自身かも。頑張れば、私だってデザインができる。」
そう思った時から、一気にデザインをもっと勉強したい気持ちが強くなっていきました。

デザインを仕事にしたい気持ちと不安

3ヶ月後、SHELIKESを卒業。
ただ、安定した海運の仕事、いつかやりたかった海外での仕事ができるかもしれない。
そう思い引き続きレタリングを続けつつ、また仕事のみの生活が始まりました。

そんな中、SHELIKES経由で繋がった響ちゃんから、ロゴの依頼が。
旅するフラワーサイクリストとして、廃棄になるお花を美しく変えて、みんなに届ける。
お花が日常の変化のきっかけになるように。
お話をきき、試行錯誤して出来上がったロゴ。

自分の作ったもので喜んでもらえたこと。
考え方や思いに共感でき、尊敬できるブランドに、自分がデザイナーとして関わることが出来た
こと。
これは今の仕事では絶対に味わえないことだ。
やっぱり自分の作ったもので喜んでもらいたい。

でも安定していて収入も良い、いつか海外に行けるかもしれない会社を辞めてまでデザイナーになりたいのか?
そもそも厳しい世界であるデザインを続ける覚悟があるのか?

自分の気持ちを試すために、厳しすぎて半数が途中でやめると聞いていた(笑)デジタルハリウッドのWEBデザイン超実践コースへ入学することを決めました。
ここで挫折するくらいの気持ちなら転職しない方がいいと思ったから。

【体験談】異業種4年目社会人がデザイナーになるためにデジハリを選んだ理由とメリットデメリット5つ デザインを本格的に勉強したいと思った時に悩むのが、デザインスクール。 この記事では、私がデジハリを選んだ理由と私が感じ...

本当にやりたいことの優先順位がわかった仕事とデザイン学校の両立

仕事も異動になり、海外と関わり輸出を促進するやってみたい仕事につくことができました。
残業も多くなってきて、でも困った時はいつも助けてくれる優しい先輩方ととても良いチームで働くことができていました。
ただ、こんなに良い環境で働かせてもらっているのに、デザインを勉強し続けたい思いはより強くなっていきました。

デジハリで学んだ基本の一つに「デザインはクライアントの課題解決」がありました。

今の仕事はやりがいがあってチームの人も好きだ。でも本気でクライアントの課題解決に携わっている感覚があまりない。

クライアントの課題解決のために、全力で試行錯誤する時間がすごくすごく楽しかったのです。

残業した日の夜も、ずっと考えて作業ができる。
先生から厳しい言葉をもらった時も、悔しいけどありがたいと思える。
それってやっぱり、デザインが好きだからじゃない?

年収や、日本製品の輸出という大きな仕事に関わっているという誇りみたいなものよりも、
仕事へのやりがいの方が私にとっては重要だと気づきました。
気づいてからの行動は早かったです。
そこから転職を決め、上司に退職したい旨を告げました。

やってみたいことがあるなら小さなステップから始めてみよう

今の仕事は会社の方針に沿った形でしか、自分自身を動かすことができない。
自分で自分の働く場所を決められないことは、自分の人生を自分で舵取りしていない気持ちになりました。

デザインの勉強なら、残業後でもずっと続けられるくらい好きだ。
それなら本業にて実際に仕事にした方が幸せなんじゃないか。

海運業だと、自分で一生身に付くスキルを還元できる場所が限られている。
デザインなら自分のやりたいことをたくさんの方法で、還元できる。

未経験での転職で不安もありますが、これからデザイナー人生を歩んでいくことにわくわくしています。

小さいころから良いな、と思っていたことはやっぱり大人になってもやってみたいと思うものです。

私は最終的にキャリアチェンジを決めましたが、そう決意するまでに色々な葛藤がありました。
でもまずは、小さいステップから初めてみたことで、どんどんやってみたい方向に進むことができました

なにかちょっとでもやってみたいことがあるなら、
本を買って読んでみたり、
ちょっとずつ勉強をしてみたり、
仲間を見つけたり、
SNSで発信してみたり、
小さな挑戦を少しずつ始めてみませんか

そうすることで自分の生活が少しずつ変わっていくかもしれません。